○奈良時代初期から篳篥(ひちりき)の舌に使われていた.
篳篥(ひちりき)
雅楽の管楽器 奈良初期中国より伝来 長さ6寸(約18.2p)の竹管の表に7孔裏に2孔をあけ、その間に樺の皮を巻き、上端にヨシ製の舌を挿入する。 舌の途中に籐でつくった帯状の責をはめて、音質、音量を調節し、縦にして吹く、音は哀調を帯びて強い。雅楽の主要旋律楽器。
昔、源三位と言う篳篥の名手がいた。ある時彼の屋敷に泥棒が入った。このとき三位の吹く笛の音を聞き、あまりの笛の美しい音色に聞き惚れてしまい、やがて泥棒は、何も盗らず逃げ出したという。
○三成の褒美
豊臣秀吉が石田三成に対し、金銀の褒美を与えようとしたところ三成はこれを辞退し、代わりにヨシ地を所望した。そこで秀吉がこれを与えたところ三成は大いに喜び、次の戦いにおいて大いに奮戦したという。
○ 節分とヨシ 平安時代の宮廷では、大晦日になると前年の邪気を払うための行事「追儺(ついな)」が行われていた。天武天皇の時代、慶雲3年 (706年)疫病で多くの人々が死んだため、(土牛)を作って疫気を払ったと言う記事が続日本書紀に出ています。これが追儺の行事 の始まりとされています。また、「鬼」という字は「おに」と読んでいますが、もともとは「陰(おん)」のことで、目に見えない 邪気のことを「おに」といったようです。宮中の追儺の儀式は、陰陽師が祭文を読み、怖い面を着けた方相氏が矛と盾を持ち、矛を 地面に打ちならしながら「鬼やらい、鬼やらい」と歩き回りました。これとともに春の初めに神が訪れて、祝福を与えるのだという 信仰もあり、神様を家に迎える行事も行われていました。この鬼を祓う行事と、神を迎える行事が一つになって、節分が出来ていった のです。 (地方共済面白情報BOXより) 追儺の行事には、桃弓、葦矢を各自が持つとあります。桃弓は桃の神秘的な力が悪鬼の祓に利用された。葦矢も古くから邪気を祓うも のとされていて、桃弓と葦矢で手強い悪鬼を打ち殺すと考えられていた。現在でも初詣でいただく魔よけの「破魔矢」にはヨシの茎が つかわれている。 ※ 追儺に用いられる桃弓は、桃の神秘的な力が悪鬼の祓いに利用された。 桃湯は辟邪のため飲用される。 桃は陽気の花で陰気を遂う力がある。 桃と逃とが同音で共に追い払うの意に通じる。 桃と刀との音通により刀が魔除けとして有力だったから桃にもその力が信じられた。